WFPチャリティーエッセイコンテスト2020⑤

佳作(小学生部門)「本当の意味で生きていく」  6年 奥村晏

「ちらし寿司作るから食卓に上がってきて。」祖母の声に、私はゲームをしていた手を止める。

このコロナ禍で学校は休校。けれど、両親は共働きなので私は祖父母の家に疎開していた。私はせっかくの休みを満喫し、いつも勉強から逃げてゲームに夢中になっていた。

ちらし寿司、か。そういえば最近食べていなかった。本当はゲームをしていたかったが、ゲームをしすぎて椅子に根を生やすのもどうかと思ったので私は階段を上った。

「桶にご飯とお酢と砂糖と塩、入れといたから、切って具を入れてちょうだい。」

祖母の声に従って、ご飯を切っていく。次は具材となるキュウリとシャケを混ぜていった。白い野原に花が咲いたようになった。

ちらし寿司のつんとした匂いが漂う。その匂いを嗅ぐと我慢ができなくてついちらし寿司の味見をしてしまう。一度味見をしてしまうと自分では止められなくなる。また一口、もう一口と…手を伸ばす。もう一口、十口目と手を伸ばそうとすると、祖母が優しく

「もうやめようか。」」

と私の手を阻む。私はハッと我にかえる。見ると、ちらし寿司は元の量の半分くらいになっていた。こんなに食べたのに気づかない自分に私はおかしくなって笑ってしまった。

つまみ食いができるときは祖母や祖父、家族がいる。なんでも前向きに考えられる。しかしどうだろう。つまみ食いがしたいとも思わないのは独りの時。何もかも気が進まない。

家族や仲間がいて、つまみ食いができる時のご飯は私にとっての元気ごはんだ。また独りの時のご飯は私にとって栄養を補給するだけのモノだった。人はただ食べていくだけでは本当の意味で生きていけず、家族や仲間と食べる「元気ごはん」で本当に生きている、と普段なら気づかなかったことを、ふと思った。私だけじゃなく全世界の人が、今この時も元気ごはんで生きていることを想った。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020④

佳作(小学生部門)「心のご飯」  6年 篠田結愛

私は祖父母の家で食べるご飯が好きだ。毎年、従姉弟の家族と一緒に福井の祖父母の家に行く。

普段は仕事で忙しい祖父も、夕食は一緒に食べることが多い。人数が多いので、とてもにぎやかだ。祖母は足りなくはないかと次々に料理を運んでくる。おいしそうな料理が大きなテーブルいっぱいに並べられて、みんなでいろいろなことをしゃべりながら食べる。母や母の弟妹が小さかった頃の話に大笑いしたり、私たちが今、夢中になっていること、学校や友達の話など、話は尽きない。祖父母とも従妹弟家族とも離れて暮らしていて、なかなか一緒に食事をすることができない。だから、みんな揃ってテーブルを囲んで過ごす。そんな時間がとても幸せだ。祖母が作ってくれる料理はどれもおいしく、気がつくと、お皿の上はきれいになくなっている。

そんなにぎやかなテーブルを祖父は楽しそうに眺めながら、頃合いを見て、「そろそろデザートタイムじゃないかな?」と言う。お決まりの光景だ。もうお腹いっぱいで、大人たちはテーブルの上を片付けたり、リラックスし始める。こどもたちは祖父が準備してくれていたアイスクリームの中から、わいわい言いながら好きなフレーバーを選ぶ。特別なことをしているわけではないのに、すべてが楽しくて、あたたかで、心もお腹も満たされる。

祖父は肺の病気を患い、治療を続けながら今も現役だ。けれど、ただの風邪も祖父にとっては命に関わる可能性がある。だから、今は会いたくても会いに行けない。次に会えるのは、いつになるのか分からない。でも、その時は、祖父母とたくさん話しながら食事をして、元気づけたいと思う。そんなことを考えながら、毎日大切に過ごしている。お腹だけでなく、心まで満タンにしてくれる。祖父母の家のご飯が私の元気ごはんだ。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020③

佳作(小学生部門)「おにぎりでの“もう想”旅」  5年 千葉心之祐

「おにぎり食べますか?。」おじいちゃんはお昼ごはんの時、ぼくに必ずこう聞く。にぎってくれるのは八十五才になるおじいちゃん。ぼくが二口で食べ終えてしまうほどの大きさの梅干しおにぎり。おじいちゃんの手の大きさが小さいのかな?それとも、ぼくが食べやすいように、小さくにぎってくれるのかな?おじいちゃんに聞いてみたことは、まだない。

そんな小さな梅おにぎりだけど、どんなにおなかがいっぱいでも「今日はいらないよ」とはなぜか言えない。言ったらだ目な気がする。だから食べられなかった時は、ラップにつつんで二階に持っていく。そして、机の上に置いておき、あとで食べる。

勉強にあきた時に食べると「またがんばろうかな」と思う。お兄ちゃんとけんかして、くやしい時に食べると「泣くもんか ❕」と思う。お母さんに、おこられた後に食べると「大じょうぶだ。」と思う。不思議なおにぎりだ。

このおにぎりには、まだまだひみつがある。おにぎりのお米は、宮城に住んでいる七十六才のおじいちゃんとおばあちゃんが八十八回も苦労して作ったお米で出来ている。

一口目を食べると、宮城のしーんとした空気がスーと鼻に入ってくる気がして、ぼくの目はいつも丸くなる。

二口目にシソの葉入りの梅干しが口に入ると、ぼくはいつも笑いがこみ上げてくる。この梅干しは、八十七才になるおばあちゃまの手作りだ。おばあちゃまはぼくに会うと必ずぼくをだきしめようとして追いかけてくる、面白い人だ。梅干しが酸っぱいから目をつぶると、自分が逃げているすがたがうかぶ。

小さなおにぎりを食べるだけで、今会えない人に会えてる気持ちになれる。こんなに愛がこもったおにぎりを食べれて、ぼくは沢山の人に愛されてると実感する。だから、ぼくも思い出してもらえるような人になりたい。人は人を愛すべく生まれたんだ。