カリタスで学んで

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カリタスで学んで

▼保護者の声へ

卒業によせて「ミッションスクールに学んで」

私が6年間を通してミッションスクールで学んだ事は「愛」です。「愛」と一言で言ってもその中には色々な意味がつまっていて、本当にあたたかい言葉だということがとても良く分かった小学校生活でした。

ついこの前、小学校最後の習字で「愛」という字を書きました。その時先生が、

「ただ、ただ書くんじゃなくて、ちゃんと色々な愛について、考え、気持ちを込めて書いて下さい。」

とおっしゃっていました。その時、私は一度、今までの6年間でたくさんふれてきた「愛」について、思い返してみました。

まず最初に思いついたのは、羊のクローバーと過ごした日々です。最初はおたがいに、きょうふ心を抱きながらも、日を重ねるごとに、どんどんどんどん思いが通じ合い、1年2組のみんなとクロちゃんは、相手の事が何でも分かる、親友のような関係になれたと思います。これは、私にとって動物と愛し合う事のできたはじめての経験でした。

次に思い出したのは、クラスのみんなとの愛です。休み時間などでは、ついつい仲良しグループが出来あがってしまうものの、総合の時間になれば、そんなこと関係なしに、クラスのみんなが混ざって意見を言っていくうちに、この人はこんな考えを持つ人なんだとか、この人がこんなに意見を言うところは見た事なかったなと意外な一面を発見すると、とてもうれしく、この人の事をもっと知りたいと思ったり、そこから仲良くなったり、本当にたくさんの「愛」が生まれるステキな時間でした。

最後に自分がたくさん愛されていた、という事を感じました。まずは先生達。私のために注意をしてくれたり、私たちがちゃんと学べるように授業を考えてくれたりと、6年間たくさんの愛情を注ぎ支えてくれた先生達は、たくさんの人を愛する気持ちを教えてくれた大切な人達です。そして、両親。たくさん愛してくれて、学校に通わせてもらって、私をたくさんの「愛」にふれさせてくれた両親には、感謝の気持ちでいっぱいです。

今までの「愛」をふり返って、私はとってもポカポカした、あたたかい気持ちに包まれていました。6年間で、たくさんの愛を教えてくれたカリタス小学校は、私の心が安らぐ、第二の家のような場所です。

大好きな友達、大好きな動物、大好きな先生達のいる、大好きな学校に通う私を6年間支えてくれた両親。たくさんの「愛」に囲まれながらミッションスクールで学んだ六年間は一生忘れる事ができない、「愛」があふれる日々でした。

ともに祈り、学び、仕える人に。この目標のもとに私たちは6年間学んできました。私が心に残ったことは三つあります。

一つ目はお祈りと聖歌です。私の幼稚園はそのようなものが一つもなかったので、小学一年生の私には朝礼や帰りの会で祈ったり歌ったりすることがとても新鮮でした。この6年間、特に大事にしていたのが朝のもく想から全校朝礼の時間でした。もく想では神様にその時の自分の思っていることや感じていることを話す時間としていました。そうすると自分の気持ちが自然と整理され、今日もがんばろうという気持ちになれるからです。

朝の聖歌やお祈りでは全校が一つになって神様に歌や祈りをとどけるというのが、私にとってすごく楽しみにしている時間でした。毎日さまざまな人達の祈りや歌を聞いたり歌ったりできるのはミッションスクールならではだと思います。

二つ目は6年間の総合を通して互いを思いやる心を学んだことです。特に学べた学年は3年生と6年生です。3年生の総合は「かげ絵」でした。36人が力を合わせて一つのかげ絵の物語を完成させるためには、互いに相手がその時どのような状態なのかを理解しつつ人形を操る人と、その声を担当する人が息を合わせることが大切でした。

6年生の総合は「宇宙」でした。私は手作りのロケットを打ち上げるグループにいました。一つのロケットを打ち上げるには、さまざまな役割が必要です。たとえ自分のやりたかった役割にならなくても、任された役割の重要性を理解し、活動を進めることができました。

三つ目はコパン(児童会)の活動です。私はコパンになって少しでも何かの役に立てるといいなと思っていましたが、人の前に立つことがそんなに得意ではなかったので、コパンになる気はありませんでした。けれども6年間「仕える人に」という目標と向き合い、私もやってみようと思うようになりました。心に残っている活動はアルミ缶つぶしです。とても大変で、もうやめたいという気持ちになることは一度ならずありましたが、これがだれかのためになっていると思うと、がんばることができました。人のために働くことは、相手も自分も幸せになることができるということに気がつきました。

この6年間学んだことをこれからも大切にしていきたいです。

私は9年間、カリタス学園で神様について学びました。幼稚園の時も今の自分も一番お祈りが大好きでした。手をあわせて目をつむると、神様とお話できるような思いがずっとあったからです。特に小学校に入ってから毎朝あった、もく想の時間は、自分の心がすっと軽くなるように感じる事もありました。また朝も帰る時も、クラスで声を合わせて一緒にお祈りをするという時間は一番の思い出として心に残っています。今までも大好きだったお祈りは、これからも大好きのままで私の支えになってくれると思いました。

2つ目に大好きになれたと思えたものは、み言葉です。放送で週1回流れてくるみ言葉に耳をかたむけると、今の自分をふり返るきっかけとなったり、自分の迷いやなやみに答えてくれるような言葉であったり、一つ一つの意味を考えるのが楽しくなりました。6年間聞いたみ言葉や知ったみ言葉の中で一番のお気に入りは「7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」です。人を心から赦すというのは難しいからイエス様や神様はたくさん赦しなさいと言っているのかなと考えています。またイエス様は生涯をかけて「赦すこと」を伝えてくれたのかもしれないと思っています。自分もイエス様の言葉に少しでも近づきたいと思えるきっかけでもあるのが、このみ言葉です。そしてカリタス小学校の中で思い出深いみ言葉が、聖マルグリットも大好きであった「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」です。自分たちの身近にいる困っている人や苦しんでいる人々に少しでも自分の手をさしのべていくことの大切さを、私はみ言葉から学びました。また毎年、バングラデシュの子供のことについて説明を受けると、自分の手が困っている人や苦しんでいる人を支えられていると感じることがあったりします。

これからの中学校生活や人生の中で、お祈りをして心を神様へ向けたり、耳を使って聞くというような機会は減ってしまうと思います。しかし、カリタス学園9年間で学んだ神様の学びは忘れないようにしたいです。そしてお祈りは聖歌も同じだから、思い出して口に出して歌える時があることを私は信じたいと思っています。これからも神様を感じて日々を過ごしたいです。

僕はカトリックの幼稚園に通っている頃からお祈りが好きでした。幼稚園の時のことはあまり覚えていないけれど、神父様が

「マリア様はいつもそばにいて見守ってくださっていますよ。」

とおっしゃったことはよく覚えています。「マリア様が見ているから悪いことはしてはいけない。」とか、「マリア様が見ているからがんばろう。」と思ったことを覚えています。

そして、カリタス小学校に入ってからは、毎日のお祈りをする他に、宗教の時間があって、イエス様や聖書について学ぶことができました。毎日のお祈りを通して「神様はいつもそばにいて見守ってくださっている。」と神様のことをもっと身近に感じられるようになりました。

僕は毎日朝休みに思いきり遊びます。朝休みと読書の後の黙想の時間が何となく好きでした。汗をかいて息も切れているけれど、黙想の時間は教室が静かになって、心も体も落ち着くからです。そして「今日一日が始まるのだな。」と、遊びと学習のスイッチを切り替えることもできたからです。

小学校生活はほとんどが楽しかったけれど、嫌なことやつらいこともありました。そんな時は「神様なんていないじゃないか。」と悲しい気持ちになりました。でもよく考えると、自分の悪かった所や、友達との関わり方について、もっとこうすれば良かったと気付くことができました。これが学んだことの一つです。

もう一つ学んだことは「人に仕える」です。「仕える」とは、人のために精一杯自分にできることをすることです。これは身近な人には簡単にできるけれど、知らない人には難しいと思いました。学校の中だったら、友達に優しくしたり、先生の手伝いをしたり、ごみを拾ったりすることはできます。でも学校の外の駅や電車で困っている人を見かけた時に、僕が「あの人大丈夫かな」と思った時には、すでに他の人が助けてあげていることが何回かありました。僕は学校の外でも知らない人でもいつでも困っている人のために、さっと手を優しく差し伸べられる人になりたいと思いました。

これからカリタス小学校を卒業して、中学高校、大学へと進んでいる中で、今よりももっとつらいことや苦しいことが起こると思います。どんなにつらいことがあっても、がんばって乗り越えていきたいです。カリタス小学校で6年間過ごせて良かったです。

カリタス小学校で学んだことを考えた時、私はどんな事も思いやりを持って行動することの大切さを学びました。この6年間、うれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと、色々な気持ちで過ごしてきました。

4年生の時、私は友達のことで少し悩んでいました。今の私だったら、あまり気にしないかもしれません。だけど当時の私は小さなことがとても気になって、友達をなかなか許すことができなかったし、私も相手のことを考えずきつい言葉や行動をしてしまいました。

たまたま宗教の時間にトラブルが起きて、私はとても傷ついてむかついた気持ちになりました。その時に先生や周りの友達が真剣に助けてくれて自分のことを分かってくれることがすごく嬉しかったです。そのおかげで心が一段と強くなれた感じがしました。

その経験から私は誰にでも思いやりを持って行動しようと思うようになりました。

また、おたがいにモヤモヤする気持ちが無くなるような言葉づかいをしようと思うようになりました。

そうしたらどんどん友達が増えて、友達との間がすごく深い関係になっていったと思います。たまに家族にはきつい事を言ってしまいますが、心の中では後悔しています。

私はイエス様の教えで好きなみ言葉があります。それは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」です。このみ言葉は聖歌にもなっていて私はこの聖歌も大好きです。心がザワザワしたとき、緊張したとき、不安になったとき、友達とトラブルになったときなどに、このみ言葉を思い出して、聖歌を歌っています。歌うと、なんとなく落ちついた気持ちになって心が軽くなります。そして、どんな小さなことも感謝しないといけない気持ちになります。そして、そのことを忘れないで中学校に行っても思いやりを持って過ごしていきたいと思います。私はカリタス中学校に行くので、これからも神様のことを深く学べることは楽しみです。

▲卒業生の声へ

保護者の声

<学習面>

色々な面で表現をすることへの工夫が見られたように思います。図工でデコボコな場所を見つけてデザインするような活動があり、身近なもので楽しめる、そして自分を表現することの楽しさを味わっていました。その後、読書感想画など、毎年取り組む活動も、国語と連動して、より自由な意見・発想・表現につながっていたようです。

 

<環境面>

何といっても、山羊・羊との生活、多摩川探検。命の大切さ、自然の豊かさを体感・吸収する素晴らしい時間でした。親の参加により、さらに充実した時間になったと思います。先生、保護者の連帯感が育まれ、子供に良い影響を与えるものになりました。

 

<総合>

子供が主体ではあるものの、先生の陰での熱のこもったご支援に、ただただ驚かされました。子供達との距離が近く、同じ目線で話してくれたり、保護者の巻きこみ方もとても上手でした。また学年があがるにつれ、総合での話し合いなどのクオリティが大人も舌を巻く出来でした。低学年からの学習、環境などの与え方、積み重ねの成果が花開くのだと感じました。

 

<行事>

アスフェス(アスレティックフェスティバル)など、子供達に任せてもらえることが多く、成長を促す大きなイベントだと思います。ここまでやる学校は他にないように思います。

日々のお祈りや塩むすびの日、募金を通して、世界中でつらい思いをしている方々に思いを馳せ、他者を思う心を育んでいただきました。

学習面では常に子供達の学び合いを大切に考えて下さり、お友達の意見にしっかりと耳を傾けお互いの話を聞き合うこと、話し合うことを子供達が授業においてしっかりできていたことがとても素晴らしいと思いました。

低学年では動物を育てることを通して命の大切さを学び、共に過ごした日々はかけがえのない思い出となっております。多摩川探検も親子共々素晴らしい体験ができました。

中学年からの総合では、子供達が探究したいテーマに対して先生方は子供達の思いを一番に考えて下さり、経過を大切に導いて下さいました。総合で培った力は未来を生きていくための心の糧となりました。

行事については子供達が主体となって積極的に関わらせていただき、お手伝いや仕事を通して誰かの為に行動できる喜びを感じさせていただくことができました。

全てにおいて子供達のために、という思いで先生方が大きな愛で導いて下さったことに心より御礼申し上げます。

1年生の多摩川探検や動物たちとの関わりから始まり、6年生のこの卒業の瞬間まで、親子で楽しく、充実した小学校の6年間を過ごすことができました。先生方やお友達と深く関わり合い、その学びの過程で自然と豊かな人間性が育まれていったと感じています。先生方はひとりひとりの子どもの個性を尊重して下さり、真摯に向き合い、子どもたちとの信頼関係を大切に指導にあたって下さいました。そして学びにおいては、結果より、そこに辿りつくまでのプロセスをとても大事にしていると感じました。学習発表会で、生徒が誇りをもって自分たちの歩みを説明できるのは、その教育が背景にあるからだと思いました。カリタスの総合教育を経験できたことは、娘の人生においてとても大きな財産となりました。

4年生よりコロナ禍に入りましたが、困難な状況の中でも迅速にオンライン授業を実施していただき、学びを続けることができました。初めてのことで戸惑いもありましたが、とても工夫された授業内容であったと思います。この経験から、たとえ難しい状況にあったとしても、あきらめずに自分たちに出来ることを見つけようとする姿勢が自然と身についていったと感じています。

6年間カリタス小学校で学ぶことができ、親子で心から感謝しております。