4年生「大根 大収穫祭」

 

4年生の社会では、カリタスのある神奈川県を調べ学びながら、「大根」についても詳しく学んできました。ひとつのことにこだわってやっていく、自分たちで経験していくのが「カリタス流」です。

「12月4日 三浦大根をこぐ!」
4年生は三浦市へ社会科見学に出かけました。今年は例年のルートとは違い、横浜を通って、三浦市へと向かいました。横浜三塔など横浜に残る近代建築をバスの車内から見学しました。バスガイドさんのお話と街並みから横浜の歴史を感じることができました。
一面の大根畑が子どもたちを出迎えてくれました。子どもたちの歓声とともに「これから大根をこぐ!」と楽しみにしていた気持ちが子どもたちの表情にも表れていました。
お世話になっている農家の方から大根のこぎ方と選び方のアドバイスをいただき、子どもたちは三浦大根の収穫にとりかかりました。「抜けない!」という声も聞こえましたが、友だちと協力して立派な三浦大根をこぐことができました。
農家の方にたくさんの質問をしました。一つひとつていねいに答えてくださる姿に、三浦という土地への愛着、大根への愛情を深く感じました。
農家の方が手間をかけ大切に育ててくださった三浦大根。葉っぱから先までおいしく堪能していただきました。様々な形での美味しいレシピが各クラス届いております。

「12月17日 とんもり谷戸の大根教室」
今年は宮前区の初山にある「とんもり谷戸」での「大根教室」にも参加し、「収穫の日」を迎えました。希望者のみでしたが、60名の子どもたちが参加しました。雨の日が少なかった分、大根たちはすくすくと育ったようで、どれも見るからに大きな大根たち。抜くのも一苦労ですが、友だちと協力して頑張って抜くと、三浦大根と同じくらい大きく育った青首大根にびっくりです。

「12月22日 カリタス産 大根収穫」
12月22日は終業式です。9月の大根の種まきから始まり、終業式に「収穫」となりました。途中、校庭を散歩する山羊さん、羊さんに葉っぱを食べられながらも、ついに収穫です。大根をこぐ作業も大切ですが、友だちと譲り合いながらこぐ姿や、どの作業も気持ちよく引き受ける4年生の子どもたちの姿がとてもまぶしく見えました。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020⑥

佳作(小学生部門)「家族そろって「いただきます!!」」  4年 小椋美怜

私の家族は両親、姉、弟、私の五人家族です。でも五人そろって「いただきます!!」と言う事はめっ多にありません。なぜなら、父は仕事がいそがしくて、いっしょに食事をする事が少ないからです。私の父は、大きな小児病院で働く医師です。全国からめずらしい病気の子や重しょうの子がたくさん来ます。それなので、父は土日も病院に行く事が多く、夜も私がねた後に帰ってくる事がほとんどです。朝も私より早く起きて、病院に行きます。いたとしても前日に帰たくがおそいため、つかれてねている事が多く、朝食をいっしょに食べる事はあまりありません。「父も病気の子どもたちのためにがんばっているのだから、私もがまんしなきゃ。」と思いますが、やっぱり父といっしょに食べれないのはさびしいです。でもその分、父もそろって家族みんなで食べれた時のうれしさは、かく別です。五人そろって言う「いただきます!!」は楽しいパーティーが始まる合図のように感じます。父は、私が手伝って作ったごはんを、毎回必ず「おいしい」と言ってほめてくれます。そのたびに私は「よーし、また今度も作ってあげるぞ!!」と、やる気が出ます。また父がいっしょだと、会話もよりはずみ、食事もすすみます。「ごちそう様」と言うころには、もうおなかがパンパンです。父一人がくわわるだけで楽しさだけでなく、やる気や、食よくも増すのです。

家族五人そろっての「いただきます!!」は、私の元気ごはんのみなもとです。

 

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020⑤

佳作(小学生部門)「本当の意味で生きていく」  6年 奥村晏

「ちらし寿司作るから食卓に上がってきて。」祖母の声に、私はゲームをしていた手を止める。

このコロナ禍で学校は休校。けれど、両親は共働きなので私は祖父母の家に疎開していた。私はせっかくの休みを満喫し、いつも勉強から逃げてゲームに夢中になっていた。

ちらし寿司、か。そういえば最近食べていなかった。本当はゲームをしていたかったが、ゲームをしすぎて椅子に根を生やすのもどうかと思ったので私は階段を上った。

「桶にご飯とお酢と砂糖と塩、入れといたから、切って具を入れてちょうだい。」

祖母の声に従って、ご飯を切っていく。次は具材となるキュウリとシャケを混ぜていった。白い野原に花が咲いたようになった。

ちらし寿司のつんとした匂いが漂う。その匂いを嗅ぐと我慢ができなくてついちらし寿司の味見をしてしまう。一度味見をしてしまうと自分では止められなくなる。また一口、もう一口と…手を伸ばす。もう一口、十口目と手を伸ばそうとすると、祖母が優しく

「もうやめようか。」」

と私の手を阻む。私はハッと我にかえる。見ると、ちらし寿司は元の量の半分くらいになっていた。こんなに食べたのに気づかない自分に私はおかしくなって笑ってしまった。

つまみ食いができるときは祖母や祖父、家族がいる。なんでも前向きに考えられる。しかしどうだろう。つまみ食いがしたいとも思わないのは独りの時。何もかも気が進まない。

家族や仲間がいて、つまみ食いができる時のご飯は私にとっての元気ごはんだ。また独りの時のご飯は私にとって栄養を補給するだけのモノだった。人はただ食べていくだけでは本当の意味で生きていけず、家族や仲間と食べる「元気ごはん」で本当に生きている、と普段なら気づかなかったことを、ふと思った。私だけじゃなく全世界の人が、今この時も元気ごはんで生きていることを想った。