WFPチャリティー エッセイコンテスト2023入賞作品その3

WFPチャリティー エッセイコンテスト入賞作品、三人目です。

佳作(小学生部門)「思い出ごはんのお手伝い」       4年

私は、地いきのボランティア活動に参加している。その活動の一つに「ちいき食堂」のお手伝いというものがある。「ちいき食堂」とは、一人ぐらしのお年よりの方へ食事をていきょうする場所だ。七月のある日曜日、私ははじめて、その活動にさんかした。
その日のメニューは、「牛肉の大根ポンずがけ・新じゃがに・ナスのみそあえ・白米・みそしる・フルーツポンチ」だった。これらの手料理は、ちいき食堂に関わるすべての人達の愛じょうがいっぱいだ。
「毎回、この日を楽しみにしているんだよ。家では一人だから、みんなといっしょに食べるとおいしいよね。」
と言うおじいちゃん。
「楽しみがあるから、暑くてもがんばって歩いてくるわ。」
と言うおばあちゃん。
おしゃべりをしながらいっしょに食べる様子は、まるで大家族の食事会のようだ。
みんなで「いただきます」と言い、感しゃしながら味わうことで、ごはんがもっとおいしくなる。愛じょういっぱいのごはんは、おなかだけではなく、人の心やその場所もみたしてくれるのだ。
ちいき食道は、人と人とのつながりを深める場所だと私は思う。私は、自分ができる時に、できる事を、できるだけの気持ちでお手伝いしたい。そして、この活動を未来につなげ、お年よりの方にえ顔をとどけたい。それが思い出ごはんとなるように。

WFPチャリティー エッセイコンテスト2023入賞作品その2

WFPチャリティー エッセイコンテスト入賞作品、二人目です。

審査員特別賞(小学生部門)「目指せ!天国のばあばの味」  5年

私のおばあちゃんは天国にいます。
私が、幼ち園の年少の時に旅立ちました。私の中のおばあちゃんの記おくは、ベットで横になって、苦しそうにしていたすがたしかありません。でも写真やビデオを見るとふっくらしたおばあちゃんが私をやさしい笑顔でだっこしたり、一緒に遊んでいる楽しそうなおばあちゃんをたくさん見ることができます。
そして、その他にも私がおばあゃんを近くに感じる事が出来ます。
一つ目は、外で歩いている時に、よくチョウチョが私の近くをヒラヒラと飛び回る事があります。おはか参りに行く時も必ず私の近くに来てくれます。
私は、チョウチョを見かけると、今日も私の事を守ってくれているんだなと思います。
二つ目は、テーブルに並ぶ大好きなお料理です。お母さんが作ってくれるお料理の中には、おばあちゃんがお母さんに教えた料理がたくさんあるそうです。
「これは、ばばが作ってくれた料理だよ」と、言いながらテーブルに並べてくれた時に、おばあちゃんとの思い出は少なくても、近くに感じる事が出来るんだなと毎回思います。
私がおばあちゃんの料理の中で一番好きな物は、大根とぶた肉のに物です。
美味しいだけでなく、温かく何だかホッとする味がしてこのに物を食べると、おばあちゃんの笑顔を思い出します。
記おくの中のおばあちゃんは笑顔ではなかったのにとても不思議です。
笑顔を思いだす料理を私も作れるようになりたい、そして、私がお母さんになった時には、私がおばあちゃんの味を自然と伝えられるように作り方をどんどん覚えて、おばあちゃんの味を未来の私の家族につなげたいです。

WFPチャリティー エッセイコンテスト2023入賞作品その1

今年度も4年生以上の全員がWFPチャリティー エッセイコンテストに応募しました。その中から、入賞した5人の作品を順番にご紹介いたします。

小学生部門賞 「空腹の先に見えた物」   5年

私は、二年生の終わりに口の手術を受けた。手術は生まれつきの病気の治療のためだったので、やらざるを得なかった。手術直後は鼻から管を通して栄養を送っていた。
その三日後、栄養ドリンクやゼリー等が与えられたが本当の食べ物が食べられる事をとても楽しみにしていた。ようやく医者からやわらかい物から食べてみようという許可がおりた。食事といっても、ほとんどが水分のおもゆや具の入っていないみそ汁やスープだった。いくら空腹であっても、のどを通らないほどおいしくなかった。私は食に対して興味がなかったのだが、その入院中、ずっと食べ物のことばかり考えていたのだ。どちらかというと苦手だった肉も食べたくなった。腰の骨も取り出し動けなかったので、病室の天井をながめ、今まで食べられる事は当たり前で、いらなければ何も考えずに残していた。食べられない苦しさを身をもって感じた十日間を過ごした。入院生活を終え、私が母にリクエストしたのはハンバーグだった。いつもより、やわらかめに作られた食事だったが、とても美味しく感じた。私はこの退院した日の食事の味も喜びを一生忘れない。
私は入院を通し、食べたい物が食べられないという経験をしたが、限られた期間で安全な病院の中だけである。世界には貧しさや、戦争で、毎日食事ができず、常に空腹で生きている人が沢山いるのだ。空腹を危険な生活の中、しかもいつ食べられるのか先が見えない中で生きていくのはあまりにも苦しいと思う。子供は泣きたくなるし、それを見ることしか出来ない大人もつらいにちがいない。
日本は食べ物があふれ、死を感じる程の空腹を経験することは無いと思う。私は時々、入院中の空腹を思い出すようにしている。そして、食べ物があること、平和であることに改めて感しゃするのだ。「食べることは生きること」多くの人が、食事にこまらず元気に過ごせる様に願っている。