WFP チャリティー エッセイコンテスト2024 ⑤

カリタス小の入賞した作品を紹介いたします。

◎佳作   「1粒のアメ」

僕は家族でフィリピンのパラワン島という島に旅行に行ったことがある。マニラで1泊してからパラワン島へ向かう。マニラは大都市といってもいいくらい何でもある大きな街で、東京のように背の高いオフィスビルもたくさんあったので、パラワン島に着き、ホテルからのお迎えのエアコンの効いた車で移動中の景色にしょうげきを受けた。壁がない家、ほ装されていない道路で寝ている人、その脇を車がびゅんびゅん通っても気にしないようだ。雑貨屋さんのカウンターには鉄ごうし。僕はたくさんの日本との違いにきょろきょろしてしまう。暑いと思えばエアコン、お腹がすいたと言えば、冷蔵庫には食材、コンビニやスーパーに行けば欲しいものはすぐ手に入る。僕がひもじいと思っていたことは、ひもじいの端っこにもならないのかも、と思った。母が、人の幸福の感じ方は、住む家や生活環境、お金があるないでは決まらないそうなのだと教えてくれた。でも、人が何よりも1番辛いと感じるのは、お腹が空いていることだそうだ、と。お腹が空いていると「幸せ」と感じる事は難しいのだそうだ。家族でその夜、自分の置かれている環境や生活について話し合った。フィリピンに住む母の友人は、もしお腹をすかせた人があなたに近づいてきたら、お金をあげるのではなく、あなたのポケットに1粒のアメが入っているなら、それをあげてほしい、と教えてくれたそう。僕は母が作るお弁当を残すことがある。嫌いだから。今は食べたくないから。後で食べよう、と。後になったらもう食べることが叶わない人のことなど考えずに。僕にはいったい何ができるのだろうか?毎日ありがたいと思いご飯を食べることはできても、それが世界を変えることにはならない。世界の貧困について考えてみる、せめてここからでも始めなければ、そう強く思った。

 

 

WFP チャリティー エッセイコンテスト2024 ④

カリタス小の入賞した作品を紹介いたします。

◎佳作   「助けたいと思う気持ち」

キンキンに冷えた部屋で、動画サイトを見ていた時の事。丁度1本の動画が終わった所で、CMに入った。そのCMは、給食が無い夏休みに、一日一食しか食べられない子供がいる。空腹になったら、水を飲んで凌ぐという話しから始まった。そこで驚いたのは、日本での出来事ということだ。私のイメージは日本には食べ物があふれていて、ひもじい思いをしている人はいないと思っていたので、気づけはそのCMに見入っていた。とくに印象に残ったのは、夜中にお腹が空いて子供が起きてしまうが、食べさせる物がない、という言葉だった。私なら自分の子供がお腹を空かせているのに何も出来なかったら、辛いし、誰かに頼る事も出来なくて、パニックになるだろうな・・・と想像するだけで喉が詰まるような感覚になった。私はCMが終わっても考えていた。なぜ、貧しい人と裕福な人との差が生まれるのだろうか。貧しい人でも簡単に食べ物を手に入れる為の良い方法はないのかを考えた結果、インターネットで調べてみると、何件か支援団体を発見した。そのサイトを見て思った事がある。一つ目は、貧しい人、全員ではなくても、中には貧しい事を恥ずかしいと思っている人がいるのではないか。二つ目は、そう感じてる人がいるのならば、気軽に利用出来ないのではないかという事だ。
私は将来、誰かに助けてほしい時に頼れる人が近くに居ない人に、どんな形であっても助けたいと思った。それに、「助けてあげよう。」ではなく、自ら「力になりたい」と行動に移せるような大人になりたい。
食べるという事は命をつなぐ事でもあり、笑顔を作る事でもあると、このCMを通して
心から実感した。笑顔が少しでも増えたら、社会が明るく、他者を思いやる余裕のある日本になれるはずだ。笑顔がなによりも大切なごはんのかくし味だから。

WFP チャリティー エッセイコンテスト2024 ③

カリタス小の入賞した作品を紹介いたします。

◎佳作   「ごはんの力」

私が幸せを感じるときは、家族や友達と食事をする時だ。みんなに囲まれて食べるごはんは1人で食べるより何倍もおいしく感じる。なぜなら、作った人の思いがこめられていて、元気になるエネルギーをもらえるから。

私の母は、私を産むために18時間も陣痛をたえたそうだ。私を産む数時間前に、体力・気力をふりしぼるために、父が小さなひと口大のおむすびを、母に作ってあげたと聞いている。食べることは、人に生きるパワーを与えてくれるのだなとわかった。

だが私には、食事をしてもおいしさを感じなくなった時期があった。ウクライナとロシアの戦争が毎日ニュースに流れるようになってからだ。大勢の人々が犠牲になり、見ている私まで死への恐怖が増していった。いつものどの奥に何かがつまっている気がして、気持ちが悪かった。

私の心の苦しさを母に思い切って話してみた。母は何も言わず聞いてくれた。1人で抱え込むより少しスッキリした気がした。

その時の夕ごはんに母が作ってくれたのは、卵雑炊だった。私が幼い頃、風邪をひいた時よく作ってくれたものだ。その雑炊は何の抵抗もなく、のどを「スーッ」と通っていった。優しい味だった。

「どんな人にも朝はくるよ。」と母は言ってくれて、前向きに考えられるようになった。そして、周りにいる友達の優しさにもっと気付くようになった。

世界には、戦争や貧国で食事を十分にとることの出来ない子ども達が沢山いる。その子達が心の支えになる人を見つけられて、少しでも心と体の栄養となるごはんが食べることが出来ますようにと心から願う