WFPチャリティーエッセイコンテスト2020④

佳作(小学生部門)「心のご飯」  6年 篠田結愛

私は祖父母の家で食べるご飯が好きだ。毎年、従姉弟の家族と一緒に福井の祖父母の家に行く。

普段は仕事で忙しい祖父も、夕食は一緒に食べることが多い。人数が多いので、とてもにぎやかだ。祖母は足りなくはないかと次々に料理を運んでくる。おいしそうな料理が大きなテーブルいっぱいに並べられて、みんなでいろいろなことをしゃべりながら食べる。母や母の弟妹が小さかった頃の話に大笑いしたり、私たちが今、夢中になっていること、学校や友達の話など、話は尽きない。祖父母とも従妹弟家族とも離れて暮らしていて、なかなか一緒に食事をすることができない。だから、みんな揃ってテーブルを囲んで過ごす。そんな時間がとても幸せだ。祖母が作ってくれる料理はどれもおいしく、気がつくと、お皿の上はきれいになくなっている。

そんなにぎやかなテーブルを祖父は楽しそうに眺めながら、頃合いを見て、「そろそろデザートタイムじゃないかな?」と言う。お決まりの光景だ。もうお腹いっぱいで、大人たちはテーブルの上を片付けたり、リラックスし始める。こどもたちは祖父が準備してくれていたアイスクリームの中から、わいわい言いながら好きなフレーバーを選ぶ。特別なことをしているわけではないのに、すべてが楽しくて、あたたかで、心もお腹も満たされる。

祖父は肺の病気を患い、治療を続けながら今も現役だ。けれど、ただの風邪も祖父にとっては命に関わる可能性がある。だから、今は会いたくても会いに行けない。次に会えるのは、いつになるのか分からない。でも、その時は、祖父母とたくさん話しながら食事をして、元気づけたいと思う。そんなことを考えながら、毎日大切に過ごしている。お腹だけでなく、心まで満タンにしてくれる。祖父母の家のご飯が私の元気ごはんだ。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020③

佳作(小学生部門)「おにぎりでの“もう想”旅」  5年 千葉心之祐

「おにぎり食べますか?。」おじいちゃんはお昼ごはんの時、ぼくに必ずこう聞く。にぎってくれるのは八十五才になるおじいちゃん。ぼくが二口で食べ終えてしまうほどの大きさの梅干しおにぎり。おじいちゃんの手の大きさが小さいのかな?それとも、ぼくが食べやすいように、小さくにぎってくれるのかな?おじいちゃんに聞いてみたことは、まだない。

そんな小さな梅おにぎりだけど、どんなにおなかがいっぱいでも「今日はいらないよ」とはなぜか言えない。言ったらだ目な気がする。だから食べられなかった時は、ラップにつつんで二階に持っていく。そして、机の上に置いておき、あとで食べる。

勉強にあきた時に食べると「またがんばろうかな」と思う。お兄ちゃんとけんかして、くやしい時に食べると「泣くもんか ❕」と思う。お母さんに、おこられた後に食べると「大じょうぶだ。」と思う。不思議なおにぎりだ。

このおにぎりには、まだまだひみつがある。おにぎりのお米は、宮城に住んでいる七十六才のおじいちゃんとおばあちゃんが八十八回も苦労して作ったお米で出来ている。

一口目を食べると、宮城のしーんとした空気がスーと鼻に入ってくる気がして、ぼくの目はいつも丸くなる。

二口目にシソの葉入りの梅干しが口に入ると、ぼくはいつも笑いがこみ上げてくる。この梅干しは、八十七才になるおばあちゃまの手作りだ。おばあちゃまはぼくに会うと必ずぼくをだきしめようとして追いかけてくる、面白い人だ。梅干しが酸っぱいから目をつぶると、自分が逃げているすがたがうかぶ。

小さなおにぎりを食べるだけで、今会えない人に会えてる気持ちになれる。こんなに愛がこもったおにぎりを食べれて、ぼくは沢山の人に愛されてると実感する。だから、ぼくも思い出してもらえるような人になりたい。人は人を愛すべく生まれたんだ。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020②

「食べるとは生きること 生きるとは食べること」  6年 小原伊都子

世界中で新型コロナウイルスが異常事態をひきおこしていて大勢の方が病いに苦しみ肺炎から重大な状態になり亡くなられています。私は今年の四月に薬剤性の肺炎により大切な祖母を失いました。私達家族は祖母の最後をみとるために病院から我家にひきとったので現在肺炎になられた方の苦しみが手にとる様にわかります。祖母は薬が原因で食べ物を飲む事が出来なくなり点滴を受けていましたが「食事がしたい」と何度も言っていました。私は祖母のため、かんてんを使ってゼリーを作りました。祖母の口へスプーンでかんてんゼリーを食べさせてあげると、祖母は「おいしいおいしい」ととても喜びました。味はりんご味でした。私は食事がしたくてもする事が出来ない苦しみと悲しさを祖母から学びました。それと同時にたとえ一さじでも味わう喜びを学びました。人があらゆる極限の状態で「食べたい」と望んでもかなえられない事がどれほどざんこくであるか、良く分かります。人は苦しみを体験するとあたり前であるものがどれだけ貴重なのか、心から感じます。普段、何げなく食べているたきたてのホカホカゴハンにトマトとジャガイモと肉だんごのスープ。特別な具は何も入ってなくても家族で一緒に「おいしいね」と言いながら食べる食事は何にも勝るメニューです。有名な絵にレオナルド・ダビンチが描いた「最後の晩餐」という絵があります。私がもし命を終える日があったら、その時したいと思う食事は幸せで和やかな時間に出された「家族の普通の食事」なのだと思います。祖母の死により私はあたり前だと思っていた料理がこれほど大切なのだということを知りました。「食べるとは生きる事」生き延びるために世の中の人々に幸せな食事があります様に祈ります。

【選者のコメント】
ふなっしーさん
皆さまの作文を興味深く
拝見させて頂きましたなっしー。
素晴らしい作品揃いで何れを選ぶか
大変悩みましたなっしー。

その中で小原伊都子さんを
選ばさせて頂きましたなっしー。

亡くなられた祖母の介護を通して、
普段当たり前である事がどれだけ大事な事であるかを気づかされる作品なっしー。
自らの体験からその考え方を導く辺りが
とても素晴らしいと思いますなっしー。

https://www.wfpessay.jp/2020/essay05.html

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020 HPより

オンライン全校朝礼で発表しました。