ダンボールから引っ張り出してきた「水車村」の看板を自転車に引っ掛けて、準備完了。
そう、今日は、日本庭園に佇む「水車」を解体するために、7年前、4年3組にいた子どもたちが集まる日だったのです。当時の総合テーマ名が「水車村」でした。
通例、総合で使用したものは繰り越して長く保存しませんが、カリタス小学校30周年記念で出版される本に偶然掲載された関係で、日本庭園に残すこととなったのでした。
クリーム色だった木材も、7年のときを経て、こげちゃ色に。「壊すのもったいないよね〜」の声。壊すのは惜しいですが、集まった子たちは、4月から高校3年生。ちょうどよいタイミングでした。
集まったのは、クラス37名のうち、23名。すっかり大人になった子もいれば、小4の面影そのままに変わらぬ笑顔を振りまく子もいて、様々。懐かしの出席を“かわいらしく”とったあとは…水車の前で集合写真。
「小4で撮った場所で同じように撮ったらどう?」
という粋な提案のもと、笑顔で撮影しました。
水車の解体は、本校で修繕等のお仕事をしてくださっている2名の方にドライバーをお借りし、レクチャーを受け、いよいよ開始。最初は「いえ、私いいですー」と恥ずかしそうに遠慮していた子も、ドライバーを手にすれば7年前にタイムスリップしたかのように、ドライバーを何度もうならせていました。
「壊すのってあっという間〜」
と笑っていましたが、皆さんが一層成長した証なのかもしれませんね。
中にはずっしりと重い、長い木が。
思えばこの水車を支える土台は、実はとある子のおじいちゃんに造っていただいた経緯があります。ただ、小4の37名、『水車を回したい』という想いで、できることを最大限にやってきました。おじいちゃんに出会い、造り方を教えていただき、想いを一層強くしていきました。『人との出会い』が突き動かしてくれました。6班に分かれそれぞれの仕事を全う、言われずとも休み時間もフル活用してビスを打ち込み、まさに『総力戦』で挑んでいったのです。
あの水車の土台の側面には「39人の毎日修造」(担任も含めてもらい37+1+1=39)と刻んであり、39名で熱く取り組んできたことの印になっていました。
ちなみに、木で本格的に造る前には工作用紙で「紙水車」を作りました。パソコンに眠る当時の写真を見返しながら、
「そういえば紙にはない木の厚み考えてなくて焦ったよね〜」
「設計図を読み取り違えて直径2mくらいの作ったよね」
「そうだ、たしかHちゃんの身長が直径ぴったりだったんだ。ということは、水車の直径130cmだったからHちゃんの身長130cmだったんじゃん(笑)」
など、当時の思い出があちらこちらで咲いていました。身をもって経験したことって、こうして蘇ってくるのだということを、目の前で教えてもらった気がしました。
ああ懐かしい…。あと3時間は語れそうですので、この辺りで、「水車村」の旅を終えようと思います。ご興味ある方はぜひ、以下の書籍をお読みください!
東洋館出版社
https://www.toyokan.co.jp/products/3621
最後、時間が来て名残惜しそうに帰る一行は、カリタスの新園舎も覗きながら、思い出話や身の上話にまだまだ花を咲かせていました。
『水車村』を通して一緒に過ごした日々を忘れられません。楽しかったなぁ…。皆さんのこれからの日々が、益々豊かなものとなりますように。お祈りしています。