WFPチャリティーエッセイコンテスト2020③

佳作(小学生部門)「おにぎりでの“もう想”旅」  5年 千葉心之祐

「おにぎり食べますか?。」おじいちゃんはお昼ごはんの時、ぼくに必ずこう聞く。にぎってくれるのは八十五才になるおじいちゃん。ぼくが二口で食べ終えてしまうほどの大きさの梅干しおにぎり。おじいちゃんの手の大きさが小さいのかな?それとも、ぼくが食べやすいように、小さくにぎってくれるのかな?おじいちゃんに聞いてみたことは、まだない。

そんな小さな梅おにぎりだけど、どんなにおなかがいっぱいでも「今日はいらないよ」とはなぜか言えない。言ったらだ目な気がする。だから食べられなかった時は、ラップにつつんで二階に持っていく。そして、机の上に置いておき、あとで食べる。

勉強にあきた時に食べると「またがんばろうかな」と思う。お兄ちゃんとけんかして、くやしい時に食べると「泣くもんか ❕」と思う。お母さんに、おこられた後に食べると「大じょうぶだ。」と思う。不思議なおにぎりだ。

このおにぎりには、まだまだひみつがある。おにぎりのお米は、宮城に住んでいる七十六才のおじいちゃんとおばあちゃんが八十八回も苦労して作ったお米で出来ている。

一口目を食べると、宮城のしーんとした空気がスーと鼻に入ってくる気がして、ぼくの目はいつも丸くなる。

二口目にシソの葉入りの梅干しが口に入ると、ぼくはいつも笑いがこみ上げてくる。この梅干しは、八十七才になるおばあちゃまの手作りだ。おばあちゃまはぼくに会うと必ずぼくをだきしめようとして追いかけてくる、面白い人だ。梅干しが酸っぱいから目をつぶると、自分が逃げているすがたがうかぶ。

小さなおにぎりを食べるだけで、今会えない人に会えてる気持ちになれる。こんなに愛がこもったおにぎりを食べれて、ぼくは沢山の人に愛されてると実感する。だから、ぼくも思い出してもらえるような人になりたい。人は人を愛すべく生まれたんだ。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020②

「食べるとは生きること 生きるとは食べること」  6年 小原伊都子

世界中で新型コロナウイルスが異常事態をひきおこしていて大勢の方が病いに苦しみ肺炎から重大な状態になり亡くなられています。私は今年の四月に薬剤性の肺炎により大切な祖母を失いました。私達家族は祖母の最後をみとるために病院から我家にひきとったので現在肺炎になられた方の苦しみが手にとる様にわかります。祖母は薬が原因で食べ物を飲む事が出来なくなり点滴を受けていましたが「食事がしたい」と何度も言っていました。私は祖母のため、かんてんを使ってゼリーを作りました。祖母の口へスプーンでかんてんゼリーを食べさせてあげると、祖母は「おいしいおいしい」ととても喜びました。味はりんご味でした。私は食事がしたくてもする事が出来ない苦しみと悲しさを祖母から学びました。それと同時にたとえ一さじでも味わう喜びを学びました。人があらゆる極限の状態で「食べたい」と望んでもかなえられない事がどれほどざんこくであるか、良く分かります。人は苦しみを体験するとあたり前であるものがどれだけ貴重なのか、心から感じます。普段、何げなく食べているたきたてのホカホカゴハンにトマトとジャガイモと肉だんごのスープ。特別な具は何も入ってなくても家族で一緒に「おいしいね」と言いながら食べる食事は何にも勝るメニューです。有名な絵にレオナルド・ダビンチが描いた「最後の晩餐」という絵があります。私がもし命を終える日があったら、その時したいと思う食事は幸せで和やかな時間に出された「家族の普通の食事」なのだと思います。祖母の死により私はあたり前だと思っていた料理がこれほど大切なのだということを知りました。「食べるとは生きる事」生き延びるために世の中の人々に幸せな食事があります様に祈ります。

【選者のコメント】
ふなっしーさん
皆さまの作文を興味深く
拝見させて頂きましたなっしー。
素晴らしい作品揃いで何れを選ぶか
大変悩みましたなっしー。

その中で小原伊都子さんを
選ばさせて頂きましたなっしー。

亡くなられた祖母の介護を通して、
普段当たり前である事がどれだけ大事な事であるかを気づかされる作品なっしー。
自らの体験からその考え方を導く辺りが
とても素晴らしいと思いますなっしー。

https://www.wfpessay.jp/2020/essay05.html

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020 HPより

オンライン全校朝礼で発表しました。

WFPチャリティーエッセイコンテスト2020①

国連世界食糧計画「WFP」がノーベル平和賞を受賞したニュースはご存じのことと思います。この国連WFP協会が主催するエッセイコンテストは10年の歴史があり、カリタス小学校ではエッセイコンテストという名称になる前から高学年の児童が毎年応募しています。作品の応募により、「食」について考えられると共に、応募1作品につき給食3日分(90円)が国連WFPに寄付され、世界の食糧支援が必要な子どもたちのために届けられています。「世界の食糧事情」や「飢餓」について考えるきっかけにもなっています。

今年度も、カリタス小学校では4年生以上の全児童が応募し、いくつかの賞をいただきました。それらの作品を6回にわけて紹介します。

小学生部門賞 「父のごはん」  6年 片岡泉

父は料理をあまりしない。海外に単身赴任していたこともあるのだが、赴任するときは、調味料や調理器具など一式持っていったらしい。父は「最初はがんばった」そうだ。でも数か月後、自分の料理より近所のお店の方が美味しいということに気づいてしまったらしい。「せっかく海外にいるんだから、現地の料理を食べなくちゃ」と言い訳をして自炊をやめてしまったようだ。
赴任中は、年に数度しか帰宅しなかった。だが、帰宅すると私に弁当を作ってくれた。私の大好きなピーマンとウインナーの正油いため。それに、プチトマトとブロッコリーを入れただけという簡単なおかずだ。だけど、ご飯はスゴイ。白米の上に大きくカットしたのりで「父」という一字をのせてあるのだ。フタをあけた時はびっくりした。一生懸命のりを切ってくれた父の気持ちがうれしくて、それだけで、幸せな気持ちになった。
今回、新型コロナウイルスの拡大による自粛生活で、父が、またまた料理を作ってくれた。チャーハンだ。大きな肩を丸めて、一生懸命食材をみじん切りにしている。それから、フライパンを大きく揺すって、ご飯を宙に浮かしたりしながらプロのような手つきで炒めている。結果はコンロのあちこちにご飯が散らばってしまった。そのちょっと笑っちゃう姿を見て、食べる前からなんだかワクワクしてきた。さあ、できた!
味は、ちょっとしょっぱかった。さっきこれまたプロを真似て、鍋のはるか上から格好つけて塩を振りまくっていたのを見た。でも、美味しかった。思わず「おいしい!」と言ってしまった。
美味しさって、食材が高級であるとか、味付けが上手とかで決まるものではないんだ。作る人の思いが伝わってくると、美味しくなる。それを教えてくれたチャーハンだった。
家族に笑いを届ける父の料理がこれからも楽しみだ。

 

【選者のコメント】
三國 清三さん(国連WFP協会顧問 オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ)
コロナによって様々な環境が変わった。今までの歴史の中でも一番か二番位かと思う。その分、私たちに一番か二番の大事な気づきを教えてくれた。単純な事に感謝したり、感動したり、ある意味ありがたい事である。父親はあまりご飯を作らないが、もともと男の人は料理作りが好きだ。お母さんもそうだが、人は褒められると木に登る思いである。褒めてあげると喜んでますますはりきって作るものである。お母さんもしかりである。褒めて下さい。そうすると自分も幸せになります。ただプロは、貶されれば貶されるほど、力をつけていくものだ。しかし、家族は褒め合って幸せになるものである。コロナは実は、人々に気づかせるきっかけかもしれない。

https://www.wfpessay.jp/2020/essay02.html

WFPチャリティーコンテスト2020 HPより