待ちに待った!CARITAS Athletic Festival 2024!!

秋晴れの青空のもと、CARITAS Athletic Festival 2024(以下、“アスフェス”)が開催されました。暑さを感じるほどに強い日差しが照っていましたが、カリタスの子どもたちはきらっきらっとかがやかしい笑顔で、熱く盛り上がっていました。

プログラム序盤の応援合戦では、「フレフレ白組!フレフレ青組!フレフレ赤組!」と互いにエールを送るコールがあったり、各学年の演技では3色が一体となって動きをシンクロさせたり・・・。一方で徒競走やリレー、団体競技では一人一人自分の持てる力を存分に発揮し、子どもたちはそれぞれの競技でいろんなドラマを経験することができました。

また、閉会式が終わった後もドラマは続きます。各色別れを惜しむかのようにすぐには教室へは戻らず、しばらく校庭に残って応援団とその色のチームでつかの間のひとときを過ごすのでした。

これからも“アスフェス”が、子どもたちにとってかけがえのない特別な一日となりますように。

WFP チャリティー エッセイコンテスト2024 ⑥

カリタス小の入賞した作品を紹介いたします。

◎佳作   「優しい半分こ」

「帰って来たら遊ぼうね。」
そうやって私の幼稚園の友達は小学生になる時にお父さんの仕事でシンガポールに行くことになった。今もシンガポールに住んでいる。優しくてお姉さんみたいな友達が私は大好きだった。二人で夢中で遊んでいたのは向かい合ってぐるぐる回る地球儀みたいなジャングルジムだった。そして、なんといってもその友達は食べることが好きだった。昼になるにつれ友達は元気がなくなる。お腹すいたね…。そうか。お腹がすくからだ。
そして昼ごはんになった。席替えで初めて友達と食べることになった。友達はご飯を見てたちまち笑顔になり、そして食べることがびっくりするほど早い。あまりにも食べるのが早く、あっという間にどんどんお皿が空になり美味しそうに食べるものだから、私は当時クリームコロッケが苦手でしょうがなかったけれど、えいっと一口食べてみた。なぜだろう。不
思議と美味しかった。美味しい・・・。私が言うと隣で食べていた友達はお姉さんみたいに半分こあげようか?と私に言って半分お皿においた。クリームコロッケは最後までとってあったから友達の一番好きなものに違いないと私は思っていた。大好きな物なのにいいのかなと思った。今思えばきっと私が美味しそうに食べていたから半分くれたのだと思う。そんなえいっと食べたクリームコロッケは今では私の大好物な物の一つだ。私は幸せご飯は好きな家族、好きな人と食べる優しさのご飯だと思う。幼稚園でお腹がすくと友達が元気がなくなったようにご飯は生きていく上で必要で大切な宝物だ。そして半分こあげようかも誰とでもできる優しい魔法の言葉だと思う。幼稚園の頃二人で向かい合って遊ぶぐるぐる回る地球儀みたいなジャングルジムのように今日もまた地球の違う国で友達はご飯をきっとあの笑顔で食べていて、今日もまた地球の違う国で私もご飯を食べて笑顔になる。友達が帰ってきたら、今度は優しさを返したい。

WFP チャリティー エッセイコンテスト2024 ⑤

カリタス小の入賞した作品を紹介いたします。

◎佳作   「1粒のアメ」

僕は家族でフィリピンのパラワン島という島に旅行に行ったことがある。マニラで1泊してからパラワン島へ向かう。マニラは大都市といってもいいくらい何でもある大きな街で、東京のように背の高いオフィスビルもたくさんあったので、パラワン島に着き、ホテルからのお迎えのエアコンの効いた車で移動中の景色にしょうげきを受けた。壁がない家、ほ装されていない道路で寝ている人、その脇を車がびゅんびゅん通っても気にしないようだ。雑貨屋さんのカウンターには鉄ごうし。僕はたくさんの日本との違いにきょろきょろしてしまう。暑いと思えばエアコン、お腹がすいたと言えば、冷蔵庫には食材、コンビニやスーパーに行けば欲しいものはすぐ手に入る。僕がひもじいと思っていたことは、ひもじいの端っこにもならないのかも、と思った。母が、人の幸福の感じ方は、住む家や生活環境、お金があるないでは決まらないそうなのだと教えてくれた。でも、人が何よりも1番辛いと感じるのは、お腹が空いていることだそうだ、と。お腹が空いていると「幸せ」と感じる事は難しいのだそうだ。家族でその夜、自分の置かれている環境や生活について話し合った。フィリピンに住む母の友人は、もしお腹をすかせた人があなたに近づいてきたら、お金をあげるのではなく、あなたのポケットに1粒のアメが入っているなら、それをあげてほしい、と教えてくれたそう。僕は母が作るお弁当を残すことがある。嫌いだから。今は食べたくないから。後で食べよう、と。後になったらもう食べることが叶わない人のことなど考えずに。僕にはいったい何ができるのだろうか?毎日ありがたいと思いご飯を食べることはできても、それが世界を変えることにはならない。世界の貧困について考えてみる、せめてここからでも始めなければ、そう強く思った。